娘のトランペットの才能

子育て

娘が中学生になり、部活を始めました。昔からやっていたピアノの影響もあってか、音楽好きで、ブラスバンド部に入部しました。娘はトランペットのパートになりました。

学校の古い楽器を使って練習していたのですが、これが才能があったのかどんどん上手くなっていきました。懇談で担任の先生とお話をした時に、音楽の先生が、娘があまりに才能があるから将来はそちらの方に進んではどうかと言っているというお話がありました。

上達は早く、楽しんでやっているのは知っていましたが、まさかそこまでとは思っていなかったので、帰って娘に話を聞くと、「トランペットは大好きだけど、音楽ではお母さんを養えないし音楽の道はお金がいるからなぁ」と冗談交じりに言うのです。涙が出そうになりました。

私はシングルマザーですが、職業柄そこそこの稼ぎがあり、娘をしっかりと四年制大学に行かせるくらいの経済力は十分にありました。

足のムズムズ

娘には絶対に好きなことをやってほしいと思い、懇談から1ヶ月後の娘の誕生日に、最高級のトランペットをサプライズプレゼントしました。

娘は見た瞬間言葉を失い、私の「立派な音楽家になってね!」というメッセージを見てオイオイ声を出して泣きました。

それから娘は以前にも増してトランペット漬けの毎日を送り、大会では必ずソロを吹き、個人でのコンテストでも賞をもらい、とうとう音楽系の高校に進みました。

今はまだ高校生になりたてですが、海外に音楽留学をしたいと言っているので今から親子で楽しみにしています。

娘のお泊りデビューに涙

歯ぎしり

娘と二人で近所の花火大会に出かけました。とっても綺麗な花火を見て4歳になったばかりの娘も喜んでいました。

とても近所なので周りにはご近所の方がたくさん来ていて、そこには娘の幼稚園のお友達の家族も来ていました。

奥さんがとてもいい人で母親同士も仲良くしており、奥さんが「ちょっとお茶飲んでいかない?」と誘ってくれたのです。そして「ちょっとだけなら、、」と寄せてもらい、私は奥さんと話を、娘は子供同士で遊んでいました。

「さて、帰ろうか」と娘に声をかけると「やだー!!!」と言われ、それを見た奥さんが「そうだ!今日、お泊りしたら?」と言ってくれたのです。

「でもうちの子したことないの、、」と言うと、「あら、じゃあ余計にいいじゃない!うちなら良く知ってるし安心でしょ」と言ってくれたのです。

娘に「お泊りしたい?」と聞くと「うん!」と二つ返事。こうして急にお泊りが決定したのです。着替えを届けるも娘はウキウキ。顔も見ずに「ママ、バーーイ!」と言っていました。

でも歯ぎしりが心配。

家についても、私がソワソワしていました。朝10時に迎えに行く約束をしたのですが、それまで1週間くらいありそうなほど長く感じました。

お風呂に入ってベッドに入ると、いつも隣で寝ている娘がおらず、涙が出てしまいました。リビングのソファーで本を読んだりして気を紛らわし、気づくと朝の4時になっていました。そこから3時間ほど寝て、10時きっかりに娘を迎えに行きました。

「ママーーー!」とすっとんできた娘を抱きしめて「いい子にしてた?」と聞くと娘が泣いていました。それにつられて私も泣きました。

「すっごくおりこうさんだったわよ。ママ、一人で寝てるね、さみしいかなってゆってたのよ」と奥さんに言われてまた涙が出ました。

ちゃんと私のことを気遣ってくれて、でもしっかりよそのおうちでやり遂げた娘を誇らしく思いました。

親子で成長できたお泊り体験でした。

離婚後の就職活動の苦労

離婚をする前は、専業主婦として家庭を守っていた女性がいました。いろんなことがあって離婚を決意した時点ではまだ仕事を探してもいない状態でした。結婚する前は、事務職として働いていたその女性は、結婚を機に退職。その後、結婚生活の間の約六年間、社会に出ずに家庭を切り盛りしていました。
離婚後すぐに、ハローワークなどを活用して就職活動専念しました。しかし、六年というブランクと三十を超えた年齢の壁は、なかなか高かったようです。正直すぐに仕事に入るつもりでいたその女性は、かなり焦ったようでした。それほどの好条件を選んでいるわけでもないにも関わらず、就職が決まらない。現在の社会の現状を、この就職活動に寄って実感したようでした。
多少の貯蓄があったとはいえ、それほど多くの金額の用意があるわけではありません。できれば使わずに取っておきたい彼女は、前職の事務職に拘らずにとにかく働ける場所を探すようになりました。そうして何とか飲食関連の仕事に採用されて、勤めることになったそうです。しかし、それからが大変でした。
慣れない仕事に加えて体力的な面での辛さ、そして週休一・二日の長時間労働…。自分の身がもたなければ、即生活費に直結するプレッシャーで大分参ってしまったようでした。それでも彼女は泣き言をいうわけにはいきませんでした。助けてくれる人もいなかったようなので、辛い身体にムチを打って働いて現在も働いています。
離婚という人生の大きな出来事の後にも休める暇はなく、慣れない社会に飛び込んでいかなければならないのは、傍目から見ていても辛いものでした。